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六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

竹や まあ いなあいや

竹はなあ この世の きりかけを すまして
参らしてもろうたわいの おらあ とろいだで
一番あとから 戸をたてて 参らして もらうだがよう
              (足利 源左)

随逐

 鳥取県山根の源左の次男は二十一才の時、気が狂った。長女を失い水害で田を失ったショックからである。松の木にのぼったりして、人をてこずらせた。狂ったまま歩けば、父源左は、その竹蔵に何もいわずに後について歩いた。日暮れになった時、竹や、もう往のうや・・・竹や、もう帰ろうよというのである。竹蔵は素直に帰る。親である。親子一緒に気狂といわれても親なのである。

 慈悲、随逐すること犢子(とくし)の如し。親牛のあとつく子牛の如く子のあとに随(したが)い逐(お)う、親である。その後、竹蔵はすぐなおって十一人の父になった。そして源左が八十才の時、竹蔵は四十九才で先立っていった。この年、大正九年一月には、長女ゆうも、嫁ぎ先で死んだ。五十八才。源左が悲しんだであろうか。

 悲しい。竹には竹の人生がある。竹は自分の分を早めにすまして、お浄土に参らしてもらった。長女のゆうも、参らせてもらった。妻くにも十三年前にいった。弟二人、妹一人、先立っていった。この源左は、のろいのでまだ残っている。最後に戸締まりをして、旅に出る身であろう。

(昭和四十一年六月)