六十四 御報謝 「句仏上人」
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磬一下 今年報恩の 第一聲
(句仏上人)
始
新年おめでとうございます。句仏上人は、東本願寺の前の御法主さまであられました。昭和十七年二月六日、御遷化になりました。お歳六十九才。俳句その他の道に秀でたるよきお方でございました。殊にその句は、単なる風流でなく、深い法味を潜めるものでございます。磬(けい)とは、内陣の中央礼盤に座して、導師が打ちならすものです。お経のはじめにならして、それから声を出します。
元旦、句仏上人の東本願寺は、広々とした内陣。寒さの中に、御開山さまは座っていらっしゃいます。元旦の内陣に、短く鋭くひびくはじめの物音は、磬である。その磬を打つ棒を打ち下ろすのは、句仏上人である。一年が御報恩の一年で、それ以外の何ものでもない。それがこの一下(いちげ)ではじまる。句仏上人御自身は、この一下からはじめて、御報恩に油断してはならぬぞと、思われるのでございましょう。
中
磬を打つのも御報謝である。一つ何かをあげて、御報謝というのではない。元旦から晦日まで、報謝ならざるはない。油断してはならない。しかし怠けものは、退屈する日がある。凡夫の悲しさであります。
懈慢界に 生まれて永き 日なりけり
(句仏上人)
終
勿体なや 祖師は紙子の 九十年
(昭和四十一年一月)