「七十四 うその皮 「浅原 才市」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
わがこころ みえもせず
りん十にみえるこころが をにとなる
あさまし あさまし
あさましいのも をそのかわよの
かわかわ をそのかわ をそのかわ をそのかわ
をそのかわ をそのかわ
あさまし あさまし あさましのも をそのかわ
(浅原 才市)
才市は自分の心にごまかしを許さなかった。罪の深い心だとか、あさましいと言っても、なかなか芯からではない。ただ臨終に、わが身をおいて考えると、ぬきさしならぬことがわかる。
人生の最後、ごまかしの効かぬ時、生涯のごまかしの歴史、その生涯中かけて育った心が迫る。平生は、いい加減な心ですごして来た自分の心がわかる。身に従うものは、後悔の涙のみ。
虚仮
実際あさましい心である。しかし、あさましいという時、なおいい加減な心である。あさましいというのも、うそですわね。やっぱり、うそですわね。
ああ、われらには真実の心はないのであろうか。仏さまの光明に照らされて、わが身のあさましさを知らせてもらうというが、ほんとうかナ。
真宗は、われわれに宗教的反省を要求しない。真宗には、常識的懺悔はない。懺悔も反省も所詮うそだ。うその皮だ。懺悔もうその人間を五劫思惟された真宗=他力を聞く一つ。
(昭和四十一年十一月)