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六十八 汝を捨てず 「九条 武子」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

すてられて なお咲く花の あわれさに
またとりあげて 水あたえけり
             (九条 武子)

いのち

 キンセンカという花は、斜めにしておくと一晩の中に花の首をもたげて上に向いてしまう。さて仏前にそなえる時に形がわるい。しかし半日もするとちゃんと上向きになる。菜の花もそうなる。しばらく用いてすてる。菜の花などは、上の方のつぼみが残っていると、横にしてすてたあと、上を向きながら咲き続ける。あわれである。すてられてもなお咲く花のいのちがいじらしい。すてたのは人間である。人間の目にかなわぬと捨てられるのが衰えの花である。でも花自身、捨てられたくはない。まだいのちの火をとぼし続けていたい。花には花の想いがある。花の想いは、花自身にとってかけがえないものである。捨てられて喜ぶものは一人もいない。

不捨

 衰えたる者が捨てられてゆく。力なき者、弱き者が捨てられてゆく。悪人が捨てられる。捨てられた者にも想いはある。世にもてはやされないでも想いは一杯華やいで内にある。その秘めた想いに涙して取り上げ希望を与え力づけるのが、本当の愛である。摂取不捨の慈悲はこれである。五劫思惟の心である。私は忘れられていない。

(昭和四十一年五月)