六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
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すてられて なお咲く花の あわれさに
またとりあげて 水あたえけり
(九条 武子)
いのち
キンセンカという花は、斜めにしておくと一晩の中に花の首をもたげて上に向いてしまう。さて仏前にそなえる時に形がわるい。しかし半日もするとちゃんと上向きになる。菜の花もそうなる。しばらく用いてすてる。菜の花などは、上の方のつぼみが残っていると、横にしてすてたあと、上を向きながら咲き続ける。あわれである。すてられてもなお咲く花のいのちがいじらしい。すてたのは人間である。人間の目にかなわぬと捨てられるのが衰えの花である。でも花自身、捨てられたくはない。まだいのちの火をとぼし続けていたい。花には花の想いがある。花の想いは、花自身にとってかけがえないものである。捨てられて喜ぶものは一人もいない。
不捨
衰えたる者が捨てられてゆく。力なき者、弱き者が捨てられてゆく。悪人が捨てられる。捨てられた者にも想いはある。世にもてはやされないでも想いは一杯華やいで内にある。その秘めた想いに涙して取り上げ希望を与え力づけるのが、本当の愛である。摂取不捨の慈悲はこれである。五劫思惟の心である。私は忘れられていない。
(昭和四十一年五月)