七十五 心の豊満 「九条 武子」
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栗鼠のごと 心の中を かけまわり
かけまわりゆく 師走の月日
(九条 武子)
動
来年は怠けようと思う。俺はことし何をしたのか。ことしのはじめ新年の朝、三百余日を所有していた。今三百余日は流れたか。
私は高野豆腐を好きでない。いま師走、味のない高野豆腐をかむような、悔恨があるのみ。年のはじめの心から、年の終りの心、ただいま一向豊かになっていない。次から次へと雑用が駆けすぎて行って、呆然と師走の日がある。
年のくぎりを決めたのは誰だ。季節という年の瀬というくぎりの前で、ただ心が空まわりをする。雑用の空まわりは、あわてたリスのように、リズムも法則もなくかけまわる。無駄に師走の日が過ぎようとする。
心まずしき者の中では、仕事が通過するだけで、肥えてゆかない。心ゆたかな者の中では、静かに湛えた心が肥る。
静
来年は怠けようと思う。仕事があわただしくて、心が呆然とするより、仕事がひまであって、心が豊満でありたい。お金がたくさんあるよりも、心が沢山ありたい。身が動いて心が怠けるよりも、体が静かであって、心が生きていたい。
とは申せ、いま師走。急用と悔恨の心がかけまわる。悲しき凡夫の年の暮れ。諸行無常、命の残りは少いのに。
(昭和四十一年十二月)