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七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

愛児を慕うのは 人情である また同時に 獣情である
ただ 本能の命令によって 動いたまでである
           (高楠 順次郎)

 高楠順次郎先生は、高名な仏教学者でありました。明治四十一年二月、四才になる男児を亡くしました。この大学者も一週間の看病をしながら思う。

 病児の眉をしかめ、のどを鳴らすのは、まるで大将軍の号令のように感ぜられる。待ってくれない。一刻も待たせまいとする。百ケ日が過ぎ、墓に参るのが楽しい。同じ年頃の子供を見ても、わが子の残したおもちゃ、洋服を見ても思い出す。

 愛着はなかなかこの手では切れない。早く忘れる為に、記念の品を捨てても、忘れまいとして、写真を残しても、それが日が経つにつれ、次第に忘れてゆく。たまに思い出して泣くのがかえって楽しみになる。子を慕うも、忘れるも、所詮犬や猫の親とかわらない。

 生きている子を忘れる人もある。現代。亡き子を忘れた親は少ない。親を忘れた子はもっと多い。

 子供は可愛いい。思わず抱きあげ笑顔をたのしむのが親である。親、わたしは子供が可愛くなくても、育てるだろうか。心もとない。

 子は死に、子は忘れられる。が、子の死によって得た教訓は、永く家庭に生きる。愛児をして、死せざらしめる。子を、親を泣かせた子から、親を教えた知識の子として、生かすのは御法義である。高楠先生の愛であった。

(昭和四十二年二月)