七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
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一、 さけのむは つみてに候か
答 ま事には のむべくもなけれど この世のならい
一、 女の ものねたむことは つみにて候か
答 ただよくよく一心に 念仏申させ給え
(法然上人)
罪
信仰の言葉はその人の心の置き場を考えて受けとらないと誤る。同じ言葉でも心がちがい言葉がちがっても心は同じということがある。ある人が、本願をきき念仏申しているが、ありがたくも、うれしくもないといった時、親鸞聖人は、わしもそうだ、こんな奴だから本願を立てられたのだと仰せられた。法然上人は、同じような問いに対して、まことによからぬことにて候と仰せられた。酒をのむのは罪か。勿論、罪である。いけません。しかしそんな私どもを救う本願である。本願のゆえに大きな顔で酒をのむかい。いけません。世のならい、凡夫のならい、つみ深きわざなれどこらえきれないで、またも酒に手を出す。この上は、人間のありさまにまかせて世をよごす。真宗凡夫の日常生活の心。
称名
酒をのむのは、世のならいながら罪。女のねたみはいかがと問うと、法然上人はきびしい。われらの罪をあげつらってもきりがない。また罪の黙認を求めてはいないか。罪のせんさくを止めよ。むしろ向上に向って歩め。お念仏を申せ。懺悔(さんげ)に酔うな。懺悔に救いはない。向上の道を歩めと上人は仰せられる。
(昭和四十一年八月)