五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
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若き命は 束の間の
よろめきゆくや 老来へ
わが言の葉を うたがわば
霜にしかるる 草を見よ
(佐藤 春夫)
佐藤春夫さんは、立派な詩人でありました。お念仏の心深い方でありました。先年までお元気に居た方でありました。この方の詩は、若々しい心でありました。その若さは、なまの若さではなくて、枯れた若さでありました。蘇った若さでありました。
若さ、それは開いた花である。若さ、それは命のかぎりを打ち震う花びらである。若さ、それは束の間の春である。若さ、それは青い草である。若さ、それは煩悩の狂乱である。若さ、それは若さへの別れる惜しみの叫びである。煩悩という快い主人である。
人は繋がれている。人は引きずられている。人は牽かれている。人はあしらわれている。人は縛られている。人は押しやられている。人は流されている。引きたおされまいとして、頑張って来た。縛りから逃げようとした。押されまいとして来た。踏んばって来た。真直ぐ歩もうとして来た。
老来(おいらく)
若さから老来の足跡は、惨憺たるよろめきの乱れ跡であった。若さの煩悩から老来の煩悩まで、ずっと煩悩との斗争の乱れ足、千鳥足。束の間の若さの饗宴も老来の歩みも、ただ一度のいのちの火だ。ただ一度。今度の後生の一大事。間違いなく霜が降りてくる。
(昭和四十年四月)