五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
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光りつつ 去りぬ 真白き 孔雀こそ
かの 流星の たぐい なりけり
(与謝野 晶子)
光る
晶子は、昭和十六年に亡くなった。鉄幹の妻であり、情熱の歌人といわれた人である。九条武子さんとも交わり、その死を悲しみ、生涯をたたえたのが、この歌である。
冬空の星は凍るようだ。つめたい夜空を、白く光って星が流れる。その間だけ、空が賑やかだが、つかのまにまたもとのしじまに返る。武子夫人の生涯のようにである。
またたとえると、武子夫人は、孔雀のような感じであった。白孔雀は、体の中が美しいから、白い羽根が生えるのではあるまいか。白い羽を生やすには、体の中で苦しい努力がされるに違いない。武子夫人に、われわれが美しさを感じ、清さを思うのはなぜだろうか。武子夫人御自身が、自身の煩悩を知りつつ生きられたからではないか。くもの巣にかかった蝶々のように、煩悩の中でもがいた人であった。煩悩でもがいてからまれた不自由さを知る。菩提心である。
去る
京都大学の柳瀬先生が亡くなった。宗教学の先生で、心易いお方であった。五十四才。小川市九郎同行は、六月に亡くなったと浜田できいた。流星の光、消えにけり。 宇部の大林同行は、十一月に先立つ。俵山の鷲頭よし同行は、十二月四日去る。八十七才。右田耕作同行は、年頭であった。今年去る星多し。
(昭和三十九年十二月)