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四十六 名号成就 「一遍上人」」

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法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

主なき 弥陀の御名にぞ 生まれける
称えすてたる あとのひと声
               (一遍上人)

ねがい

 一遍上人は、親鸞聖人が六十七才の年に、道後で生まれました。亡くなった時、五十一才でした。一遍上人は、十才で念仏に入り、三十六才の頃、お念仏の本義を聞きひらいたと、いわれます。親鸞聖人のお味わいと、非常に近い信仰の方です。この人の門下の人を、時衆とよびましたが、その人々は、自分の名を、有阿弥陀仏とか、照阿弥陀仏とか、つけました。略して有阿、照阿などと申します。親鸞聖人は、このような名をもつ人々から、御法義のおたずねをうけて、交際していられます。時衆でありながら、聖人のお弟子でもあった人が、いたわけです。

 法蔵菩薩のねがいは、わが名を衆生に称えられねば仏にならずというのです。懈怠(けたい)なくせに、理屈を言いたがるわれわれが、お前ゆえに、お前ゆえにの仰せをきかずに来ました。いうなれば、受けるべき私が受けぬので、主なしであったことになる。如来様、聞かず、称えず、はかろうて、淋しい辛棒をさせました。

成就

 阿弥陀様という町長の所に、配給うけにゆくように思っていたのに、お前に称えられぬと、仏にならぬと仰せをきき、あれあれと思わず称えることになった。弥陀は、名号として、私を主に生まれ出たのである。

(昭和三十九年七月)