五十九 大盤石 「九条 武子」
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智恵の子は 大磐石の 下じきと
ならんとせしを のがれしと笑う
(九条 武子)
下じき
われわれの、心のうごきを知っている人は、外にいない。全く知られることのない胸の中で、われわれは途方もないことを、思いつづける。その心をたった一人、こと細かに知っているものがいるとしょう。その者は、大へんな智恵のある小さな者としょう。
智恵が洋服を着たような者である。その智恵の子が、われわれを笑うのである。なぜか。人はたやすく大磐石の下じきになる。そうすると、ぺしゃんこになる。下じきになろうとするまで、人さまには知れない。ある時は、本人さえ知りません。智恵の子は、じっと知っている。下じきにならずにすむと、智恵の子はカラカラと笑う。それは本人の努力が愛おしく思われるからである。いじらしいからである。
大磐石
われわれを下じきにする。大磐石とは、何か。われわれを押しひしぐもの、それは、われらの中なる欲望である。煩悩である。憂いであり、快楽である。過去なる罪の思いもよくない。
武子さんは、自らの逆境をいうのであろうか。疑いのとりことなることを、さすのであろうか。用心しないと、わが心に流される。われわれが、下じきの危機にあると真宗は告げる。
(昭和四十年八月)