四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
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こぞのけかちに・・・
おさなきものども 上下あまた候を
ころさじと し候(そうらい)しほどに
ものもきずなりて候うへ
しろきものを 一つもきず候
(恵信尼公)
聖人の妻
親鸞聖人の妻、恵信尼さまは九つ年下の妻である。聖人が八十才をすぎられた頃、恵信尼さまは越後に移られた。聖人が九十才でご往生の時は、便りの中に、上記の一節があります。その時恵信尼さまは、八十三才位、娘覚信尼さまは、四十才位です。
七百年前は、住みにくい世でした。越後は毎年、飢渇(けかち)に見舞われました。寒い夏ででもあったのでしょう。便りに今年はうえじにするやもしれぬとさえあります。そのような世で、この聖人の老いたる妻は、ひとりどのようにして暮してゆかれたのであろうか。越後には、お子様達があちこちに住んでいましたが、亡くなった長女の子、数人。益方入道という、第四男の子達も育てていました。
聖人の孫
何となく母になったような、と便りをかきながら、おばあちゃんは八十余才。着物もやぶれ、よごれ、孫の世話をしました。育ちざかりは、よく食べる。小さいのは手をとる。殺してはならぬ、ばばはうえても、死んでも、孫達は、あの良き人の孫だから、殺さじ、と。
(昭和三十九年六月)