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四十一 舞台 「池山 栄吉」

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法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

半分 見物気分でいた私
これこれ 唯円房のうしろの方 ここへ出ておいで
われらのためなんですよ あなたのためなんですよ
と 聖人に呼びかけられ 
観覧席から 舞台に呼び上げられた
自分は今 唯円房と並んで
聖人の眼の前に 座っている
自分は今 聖人じきじきに
本願召喚の 勅命をきいている
           (池山 栄吉)

 池山さんは明治5年東京に生まれ、学習院教授を三十年つとめ、大谷大学教授もして、昭和十三年六十七才でなくなった、ドイツ文学者でした。

観覧席

 お寺まいりの心は、次第にかわるはずです。道心とか、求道とか申しますが、はじめは半分見物でしょう。何か特別の動機のある方でも、初めは真宗とはどんなものかと思い思い、半分または全部、見物の心でしょう。お寺の外陣は、観覧席でしょう。信仰は知識ではない。信仰は一般的な法則ではない。私一人のものである。

 私の知っている方で、数年前、お講の説教とは毎年親鸞聖人の同じ伝記ばかりでしょう、と問うた人がある。その方がことしは、聖人のことがいいです。聖人の伝記が何よりお説教です、と言うのである。

舞台

 聖人は凡夫でありました。私共の先輩であって、親鸞一人の道を歩まれました。聖人を聞いている中に、見物の私が、知らずに当人になっている。舞台の本人である。呼び上げられてそこにいる。

(昭和三十九年二月)