四十一 舞台 「池山 栄吉」
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半分 見物気分でいた私
これこれ 唯円房のうしろの方 ここへ出ておいで
われらのためなんですよ あなたのためなんですよ
と 聖人に呼びかけられ
観覧席から 舞台に呼び上げられた
自分は今 唯円房と並んで
聖人の眼の前に 座っている
自分は今 聖人じきじきに
本願召喚の 勅命をきいている
(池山 栄吉)
池山さんは明治5年東京に生まれ、学習院教授を三十年つとめ、大谷大学教授もして、昭和十三年六十七才でなくなった、ドイツ文学者でした。
観覧席
お寺まいりの心は、次第にかわるはずです。道心とか、求道とか申しますが、はじめは半分見物でしょう。何か特別の動機のある方でも、初めは真宗とはどんなものかと思い思い、半分または全部、見物の心でしょう。お寺の外陣は、観覧席でしょう。信仰は知識ではない。信仰は一般的な法則ではない。私一人のものである。
私の知っている方で、数年前、お講の説教とは毎年親鸞聖人の同じ伝記ばかりでしょう、と問うた人がある。その方がことしは、聖人のことがいいです。聖人の伝記が何よりお説教です、と言うのである。
舞台
聖人は凡夫でありました。私共の先輩であって、親鸞一人の道を歩まれました。聖人を聞いている中に、見物の私が、知らずに当人になっている。舞台の本人である。呼び上げられてそこにいる。
(昭和三十九年二月)