操作

五十五 老いらく 「佐藤 春夫」

提供: Book

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

若き命は 束の間の
よろめきゆくや 老来へ
わが言の葉を うたがわば
霜にしかるる 草を見よ
          (佐藤 春夫)

 佐藤春夫さんは、立派な詩人でありました。お念仏の心深い方でありました。先年までお元気に居た方でありました。この方の詩は、若々しい心でありました。その若さは、なまの若さではなくて、枯れた若さでありました。蘇った若さでありました。

 若さ、それは開いた花である。若さ、それは命のかぎりを打ち震う花びらである。若さ、それは束の間の春である。若さ、それは青い草である。若さ、それは煩悩の狂乱である。若さ、それは若さへの別れる惜しみの叫びである。煩悩という快い主人である。

 人は繋がれている。人は引きずられている。人は牽かれている。人はあしらわれている。人は縛られている。人は押しやられている。人は流されている。引きたおされまいとして、頑張って来た。縛りから逃げようとした。押されまいとして来た。踏んばって来た。真直ぐ歩もうとして来た。

老来(おいらく)

 若さから老来の足跡は、惨憺たるよろめきの乱れ跡であった。若さの煩悩から老来の煩悩まで、ずっと煩悩との斗争の乱れ足、千鳥足。束の間の若さの饗宴も老来の歩みも、ただ一度のいのちの火だ。ただ一度。今度の後生の一大事。間違いなく霜が降りてくる。

(昭和四十年四月)