四十二 信心の智慧 「善太郎」
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この善た郎か 五たいは
一 つちと五を 二 すいと五を
三 ひと五を 四 かせと五を
よつのかりもの たま四がやどりてをる
一 ちちの五を 一 ははの五を 一 をかみの五を
一 □わ□まの五を 一 九にのとの三まの五を
一 こめもほとけ三のもの五を 一 きりものもにょらい三の
一 むきもにょらい三のもの 一 たいすも五を
一 あつきも五を 一 あわも五を
一 とみきも五を 一 なつまめも五を
一 たとも五を 一 いもも五を
一 たいこも五を 一 五ほも五を
一 いたも五を 一 いさいのつかいと九も五を
(善太郎)
一文不知
善太郎は百八年前なくなりました。昨年、浜田の金蔵寺に参り、善太郎の書いたものを見ました。少し読み良くしてもこの通りです。一体、文字や知識が、どれほどの意味があるかと、考えさせられました。
智者
信心の智慧に入りてこそ、仏恩報ずる憶いあり。信仰の智慧とは、何とすばらしいものであろうか。大根も牛蒡も、御恩であるというくらしである。智恵者の知ったかぶりではない。善太郎の文字もしらぬ述懐である。こういう人に私はなりたい。ほめられなくても、私は田舎者が好きだ。
(昭和三十九年三月)