四十七 自力無効 「小川 チエ」
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いきすぎ者が まよいでて いらぬやきもち やきました
やいたか やかんか 何十年 なべもめげたし 粉もみてた
注文なしだで みなそんだ そんと もうけを 一ときに
しらせてもろうた ありがたさ
何とも 何とも このごおん
(小川 チエ)
計い
小川チエさんは、島根県江津市(ごうつし)・小川仲蔵同行の妻である。昭和十一年九十二才で亡くなりました。その子が、この会報に何度か名の出ました市九郎さん(八十五才)です。市九郎さんが話をしてくれます。母がナァ、仲蔵さんは喜び手であんなさったが、おばあさんは、どがいうて喜んでいたかと、問う人があったら、こういうてくれと申しましてナ。それがこのうたであります。
御当流は聞く一つである。そのままのお救いである。他力である。名号のひとりばたらきである。信心は、たまわりものである。と、いうことを何度もききます。しかし、それはいつもよくわかった人から話されまして、なかなかよくは、心がわかりません。だから、なかなか才市さんや、善太郎さんのようになれんといいます。こう思うのが信心じゃ、こうすることが真宗じゃと、いろいろ言っても見ます。
無功
何年もお聴聞をしている中、ああそうか、というようなことに、なる時がある。理屈をこねたなべが、割れ、こねる粉もなくなったといっていい。永いこと、そんしたものだ。そんと知れたが大もうけ。
(昭和三十九年八月)