操作

「五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」」の版間の差分

提供: Book

(新しいページ: '{{houetu03}} これ僧僕 わしが死んだら 何になるか<br /> ハイ 御門跡さま 台下は<br /> 死なれますると牛に お生まれでありまし...')
 
(1版 をインポートしました)
 
(相違点なし)

2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

これ僧僕 わしが死んだら 何になるか
ハイ 御門跡さま 台下は
死なれますると牛に お生まれでありましょう
しかも 緋の衣を 着て居られまするで 
定めし 赤牛にお生まれで ありましょう
              (陳善院 僧僕和上)

牛になる

 僧僕和上は富山県に生まれ、一七六二年(約二百年前)亡くなった和上です。年四十才。学徳兼備の教育者で、英才、雲の如く排出した師でありました。本願寺の門跡は、時に法如上人。ありがたいお方である。死んだら何になる。牛になるという会話を、味なく読んではならぬ。これ、真面目な話である。僧僕和上は偉い。

御門跡といえども、牛にも馬にもなる、地獄ゆきである。わしが死んだらどうなる、と問わるれば、牛になるとでもいわねばならない。牛には赤牛というのがいる。赤牛も黒牛も、きっと前の世で、煩悩にいっぱいの生涯をすごしたのであろう。僧僕和上自身も、門跡を責める資格のない泥凡夫。門跡のあとから、また牛になど生まれる業をつんでいる。

仏にする

 しかし、その牛に当然なるものが、今度は仏にされるというのである。仏になるというより、仏にするのだ。そう告げ続ける。本願がすばらしい。牛になる、赤牛になるという会話は、必ず牛になる者が、必ず仏にするという本願への確実な讃(ほ)め言葉である。本願不思議、広大な仏恩への驚嘆である。門跡と和上、必ず牛になる二人が、本願の野放図な力を讃えている。

(昭和四十年七月)