「五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」」の版間の差分
提供: Book
細 (新しいページ: '{{houetu03}} 限りあれば さても耐へける 身の憂さよ<br /> 民のわらやに 軒をならべて<br /> (後鳥羽上皇...') |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
限りあれば さても耐へける 身の憂さよ
民のわらやに 軒をならべて
(後鳥羽上皇)
金の扉
さきごろ、天皇さまの長女でましまし、照宮さまと申しあげていたお方が亡くなられた時、お気の毒であり、かなしくもあった。天皇さまも、無常のお方である。行届かざるなき医療をうけても、若くして逝かねばならない。後鳥羽上皇は、八百年も昔の方である。文芸にも政治にもすぐれたお方でありました。壇ノ浦の戦いの前年、天皇になられ、二十三年、法然上人、御開山さまを流し者にされた時の上皇でありました。国の王位にありながら、政治の実権は、鎌倉幕府にとられました。上皇も権力に惹かれる。承久三年、鎌倉幕府を討とうとして、却(かえ)って敗れ、逮えられて、隠岐の島に流されました。御開山を流してから十四年目、自らが流されたのである。
葦の軒
昔は 清涼紫辰の 金の扉に 采女 腕を並べて簾を巻き
今は 民煙逢巷の葦の軒に 海人釣を垂れて語らいをなす
上皇は栄枯盛衰、今昔の思い深く、念仏に明けてくれる。民家に軒(のきば)をならべて、したこともない苦しい生活に、耐えねばならない。順調の日、誰も無常を思わない。世の幸福は、人の目をくらます。幸福であっても、今日は無常の一日だ。幸福は無常を覆う。しかし真実は、のっぴきならぬ無常である。
(昭和四十年六月)