四十四 独楽 「明顕寺住職」
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こま まわって 処をえて しずかにまわって おわる
(島根 明顕寺前住職)
コマ
四月下旬、島根県・岡見の西蓮寺に参りました。年寄というものは、よいものです。火鉢の上に、紙張の助炭のある宅なら、必ず丁寧なお年寄のいらっしゃる家庭である。西蓮寺の客間の助炭に、こま まわって・・・と書いてあります。老僧・栗山義雄師のおじ、益田在の明顕寺前住職の作である。この方は、井泉水(せいせんすい)にならった人であるとのこと。
力まかせにこまをまわした。腕白の頃、早く静止して、長くまわるように工夫したものだ。こまは初めに、工合(ぐあい)のいいまわり場をさがすようにうろつく。広々とした居り場ではない。ほんの足もとの広さでよいのだ。さがしあてると落着いてまわる。おわりには、おわりを告げるようなそぶりをしておわる。 若々しいいのち、はげしい意欲、人はまず三十、四十まであわてるな。上にまれ下にまれ、仕事が決まる。然しまだ居り場に安住しにくい。中老、静かにいのちが燃焼しておわりに至る。
獨楽(こま)
朝から一日中、コマねずみのように働く。夕べそれぞれの座につき、一服してやすむ。一生も一日も、何れにしろたった一人のきりきりまい。居り場を得て、いのちを燃やして居たい。
(昭和三十九年五月)