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六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」

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法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

一つ二つと 石積むすべも 得知らざり
守らせたまえ 南無 地蔵尊
         (有田 甚三郎)

子を

 有田甚三郎という人を、私はどんな人か知りません。この人は、幼子を亡くしたのである。人の不孝の中で、先立つ不孝ほどの不孝はない。子は親よりあとまで生きねばならない。老小不定。老人が必ず先に死に、若いものがあとだと定まってはいない。しかし、逆憂いは悲しいことである。老が先で、小があとの方がまず望ましい。だから、子が親の死をとむらって泣くのは孝である。

 子は親の死の悲しみを背負って泣く。けれども、子に先立たれた親の悲しみにまさる悲しみはない。その悲しみを、親に背負わせるのが、先立つ不孝である。子に死なれた親の悲しみは、身も世もない。子が幼いほどそうである。死んだ子は、さいの河原で石をつむという。幼いものの積む小善根である。小善根を以て、福徳の因縁は満足しない。

思う

 幼稚園の園児を見る。腕白が威張り、幼児はむごい。石を数えも出来ぬ、積みも出来ぬわが子は、大きい子にまじって、今日もびりになって、石をつむであろう。お地蔵さま、私の子のを手伝って下さいませんか。父も母もいない河原、腕白の中に交っておろおろする子、淋しかろう。幽明をこえて思う親の悲しみである。

(昭和四十年九月)