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五十九 大盤石 「九条 武子」

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法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
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智恵の子は 大磐石の 下じきと
ならんとせしを のがれしと笑う
          (九条 武子)

下じき

 われわれの、心のうごきを知っている人は、外にいない。全く知られることのない胸の中で、われわれは途方もないことを、思いつづける。その心をたった一人、こと細かに知っているものがいるとしょう。その者は、大へんな智恵のある小さな者としょう。

智恵が洋服を着たような者である。その智恵の子が、われわれを笑うのである。なぜか。人はたやすく大磐石の下じきになる。そうすると、ぺしゃんこになる。下じきになろうとするまで、人さまには知れない。ある時は、本人さえ知りません。智恵の子は、じっと知っている。下じきにならずにすむと、智恵の子はカラカラと笑う。それは本人の努力が愛おしく思われるからである。いじらしいからである。

大磐石

 われわれを下じきにする。大磐石とは、何か。われわれを押しひしぐもの、それは、われらの中なる欲望である。煩悩である。憂いであり、快楽である。過去なる罪の思いもよくない。

 武子さんは、自らの逆境をいうのであろうか。疑いのとりことなることを、さすのであろうか。用心しないと、わが心に流される。われわれが、下じきの危機にあると真宗は告げる。

(昭和四十年八月)