操作

五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」

提供: Book

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

いとほしと 悲しとかつは おもへども
つよきしもとに わが心うつ
           (九条 武子)

苦境

 孤閨という言葉は、いやな言葉である。武子夫人は、御主君の洋行の留守をした。十年孤閨を守ったと人はいう。十年ひとりは、女の若さにとってはながいにちがいない。自分の心の中に、いろいろな思いがわく。清さに過ごそうとする。しかし若さは過ぎてゆく。

あめつちを 野に咲く花に うずめても
悲しかりけり おとろえのわれ

 女にとって空しく青春がおとろえてゆくのは何とも悲しい。そんな悲しい身になって、夫人は十年悲しい立場に耐えて来たのである。

 人はどなたも苦しい時がある。ながく苦しいこともある。それに耐えていくのである。苦境にまけるものかと。愚痴もいわずにあきらかに、苦境で働いている人の姿ほど優かしいものはない。

ところが、その苦境がないと、時としてそのことが悲しくなる。自分自身が可愛想になる。

打つ

若さの自分を、これ程いじめねばならぬ。みじめである。たった一度の過ぎゆくいのち。いとおしい、悲しい、そう思う。そこに武子夫人の本領が、頭を出してくる。堕落の入口だぞ、何が可愛相だ、辛棒はここだ、強い強い筈(しもと)で、我が怠け心を、打つのである。

(昭和四十年二月)