五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
提供: Book
いとほしと 悲しとかつは おもへども
つよきしもとに わが心うつ
(九条 武子)
苦境
孤閨という言葉は、いやな言葉である。武子夫人は、御主君の洋行の留守をした。十年孤閨を守ったと人はいう。十年ひとりは、女の若さにとってはながいにちがいない。自分の心の中に、いろいろな思いがわく。清さに過ごそうとする。しかし若さは過ぎてゆく。
あめつちを 野に咲く花に うずめても
悲しかりけり おとろえのわれ
女にとって空しく青春がおとろえてゆくのは何とも悲しい。そんな悲しい身になって、夫人は十年悲しい立場に耐えて来たのである。
人はどなたも苦しい時がある。ながく苦しいこともある。それに耐えていくのである。苦境にまけるものかと。愚痴もいわずにあきらかに、苦境で働いている人の姿ほど優かしいものはない。
ところが、その苦境がないと、時としてそのことが悲しくなる。自分自身が可愛想になる。
打つ
若さの自分を、これ程いじめねばならぬ。みじめである。たった一度の過ぎゆくいのち。いとおしい、悲しい、そう思う。そこに武子夫人の本領が、頭を出してくる。堕落の入口だぞ、何が可愛相だ、辛棒はここだ、強い強い筈(しもと)で、我が怠け心を、打つのである。
(昭和四十年二月)