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五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」

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Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

四十一 舞台 「池山 栄吉」
四十二 信心の智慧 「善太郎」
四十三 無我・極楽への道 「中 勘助」
四十四 独楽 「明顕寺住職」
四十五 聖人の妻 「恵信尼公」
四十六 名号成就 「一遍上人」」
四十七 自力無効 「小川 チエ」
四十八 オコタルベカラズ 「浄泉寺 覆善」
四十九 夢の王 「後白河上皇」
五十 法の妻 「二条 弘子」
五十一 流星の光ぼう 「与謝野 晶子」
五十二 ご命日 「後生口説き」
五十三 苦境にうつ鞭 「九条 武子」
五十四 帰る旅 「小泉 義照」
五十五 老いらく 「佐藤 春夫」
五十六 しのびの殿御 「お軽」
五十七 上皇遠流 「後鳥羽上皇」
五十八 赤い牛 「宏山寺 僧僕」
五十九 大盤石 「九条 武子」
六十 先立ちし子 「有田 甚三郎」
ウィキポータル 法悦百景

光りつつ 去りぬ 真白き 孔雀こそ
かの 流星の たぐい なりけり
          (与謝野 晶子)

光る

 晶子は、昭和十六年に亡くなった。鉄幹の妻であり、情熱の歌人といわれた人である。九条武子さんとも交わり、その死を悲しみ、生涯をたたえたのが、この歌である。

冬空の星は凍るようだ。つめたい夜空を、白く光って星が流れる。その間だけ、空が賑やかだが、つかのまにまたもとのしじまに返る。武子夫人の生涯のようにである。

またたとえると、武子夫人は、孔雀のような感じであった。白孔雀は、体の中が美しいから、白い羽根が生えるのではあるまいか。白い羽を生やすには、体の中で苦しい努力がされるに違いない。武子夫人に、われわれが美しさを感じ、清さを思うのはなぜだろうか。武子夫人御自身が、自身の煩悩を知りつつ生きられたからではないか。くもの巣にかかった蝶々のように、煩悩の中でもがいた人であった。煩悩でもがいてからまれた不自由さを知る。菩提心である。

去る

 京都大学の柳瀬先生が亡くなった。宗教学の先生で、心易いお方であった。五十四才。小川市九郎同行は、六月に亡くなったと浜田できいた。流星の光、消えにけり。  宇部の大林同行は、十一月に先立つ。俵山の鷲頭よし同行は、十二月四日去る。八十七才。右田耕作同行は、年頭であった。今年去る星多し。

(昭和三十九年十二月)