九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
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僕は この頃 僕の受けた 異常な環境を 貴いものと 感じて来た
絶対絶命の境地に 面と向って 立たされていることは
何と大きな問題を 与えられたことだろう
(尾崎 秀実)
悩
尾崎秀実は、昭和十九年十月死刑になった。ゾルゲスパイ事件に連座された。死刑一月前の妻への便りであります。絶対絶命の苦悩は辛い。たとえば、手足など不自由な子を育てる親もたくさんある。
小児マヒで寝たきりの息子二十七才。昭和四十二年八月二日、母は買物に出ていた。父森川宗男さんは医者である。寝ている息子に麻酔をかけ首にタオルを巻きつけ、許してくれ、と叫んで絞め殺した。自分も自殺を図って失敗した。手足も不自由で知能も低いマヒの子を、二十七年看病し、持病が悪化、医院も廃業した。昭和四十三年十二月裁判は心神喪失の故をもって無罪となった。裁判長はこのような事は、すべてが罪なきものと軽々しく決めるべきでない、と言い添えて安楽死をいましめた。
鍛
二十七年の両親の悩みはどうであったろう。母は裁判で私も子を殺して自分もと何度思ったでしょう。私には主人を責めることは出来ません。と証言した。泣きもしたろう、心中も語ったろう、世をのろったろう、病気をうらんだろう。 私共の想像を越えるこんな人の方が余程、尊い人生だ。
(昭和四十四年二月)