九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
提供: Book
とかく 智慧才覚とか 学問など云うがらくたが
信仰に進むものの 障碍となることは 確かである。
妙好人には それがないと云うので
入信の好条件を具えて居るわけである
(鈴木 大拙)
賢
愚かな者は仕合せである。教養のない者は仕合せである。紳士淑女は不幸である。べらんめえ野郎は仕合せである。近頃迄、事務職の女性をBGすなわちビジネスガールと云った。それがこの頃、OLすなわちオフィスレディーという。事務職の淑女ということになった。漫才師の語り口に教養が邪魔をして、というのがある。
実は笑いごとではない。がらくたの如き教養にしばられて、物の言い方から、振舞いまで、ぎこちないとは情けないではないか。信仰も信者も説教も教養のある上品さが大切と考えることになる。がらくたをもって、自分の教養かと思って紳士然・淑女然としていることの気の毒なことよ。君はべらんめえなんだよ、実は。君のは本当の教養ではないよ。君は下司なのだ。ハイ。
愚
本当の教養とは、もっと終始一貫せるものである。用心しなくてもよいものである。
信仰とは、教養などを捨て去ったる、生地の凡夫が土台となるものだ。浄土宗の者は、愚者になって往生す。俺は阿呆なのだ。
(昭和四十三年九月)