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八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」

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Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

恒順よ
お前は 排仏論を 心配するが
日頃 親しむ 竜樹 天親の 大論があるのに
平田の学説に 恐るることはなかろう
それより 僧侶 同行の 道心なきを おそれよ
                  (南渓和上)

他宗

 楳渓南渓(うめたになんけい)和上は大分県萬福寺に住し、明治六年九十一才で亡くなられた。七里恒順(しちりごうじゅん)和上は福岡・満行寺に住し、明治三十三年六十六才で亡くなられた。南渓和上の弟子でありました。明治のはじめの排仏論は、平田篤胤の神道学説が依り所であった。恒順和上は、この学説をやっけようとした。南渓和上は、偉い立派な御当流のお聖教を頂きながら、外の学説に用があるのか、と叱る。他宗に用はない。念仏は無碍の一道ではないのか。

 新しい宗教が法華経を依り所としておこって来たので、真宗の人々が大急ぎで法華経を学びはじめた。お三部経に何の不足があるのか。大経は真実の教ではないのか。

自宗

 靖国神社を国のものとするという動きがある。日頃お聖教を読まない人々が、靖国神社を論ずる。どんなことになろうとも手に数珠はめて靖国に参って、お念仏称えて、おじぎをしようではないか。お念仏をさまたげる程の悪なきゆえに。勿論、衣を着て、正信偈をあげてもいい靖国にしてほしい。一番大切なのは、自宗である。

(昭和四十二年十二月)