八十一 行動の人 「足利 源左」
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念佛にや しいらはないけつど
人間が しいらだがのう
しいらでも 称えなんすりや 実がいつでのう
(足利 源左)
*しいら 実入りの悪い籾(不捻)石 見 の 方 言
称名
源左さんは昭和五年二月二十日、八十九才で死んだ。身長五尺四寸、手は特に頑丈であった。源左の早起は有名であった。一時か二時におきお正信偈をあげ、御文章を一つ読んだ。彼の声は美しかったという。お念仏は柔らかく澄んだ声で、鈴のなるように響いたという。
智頭(ちず)の小学校で正栄寺のご院家さまが、子供達にお話をなさったことがあった。聖人のお得度のお話で、あすありと思う心のあだ桜、という歌が話された。子供達と一緒にきいていた。源左は大きな声で、なまんだぶ、なまんだぶ、と称え出した。子供達はどっと笑った。
田中國三郎校長とご院家さまは、子供達をきつく叱った。叱られる子供達はしゅんとした。その時また源左は、なまんだぶ、なまんだぶ、と称えた。生徒はまた笑った。先生は叱った。源左は称えた。止めなかった。生徒はますます笑った。ますます叱った。ますます称えた。そうして会はおわった。学校はお念仏がはやった。
源左の師匠寺は山根寺の願正寺、現住職衣笠一省師が集めた源左の言行録がある。この本は何度も読むがいい。源左は行動の人であった。行動には他力の深信(じんしん)があった。真実の信心は、必ずお称名を伴う。
(昭和四十二年六月)