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八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」

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法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

目もみえず候 なにごともみな わすれて候
ひとなどに あきらかに まふすべき身にも あらず候
                 (親鸞聖人 八十五才)


お講

 あけましておめでとうございます。お東の句仏上人の句に、

歳旦の 目出たきものは 念仏かな

とあります。この新年は、お講の月であります。親鸞聖人の一生は、別に雪の中のみではなかったけれども、雪が降ると忘恩のわれも聖人を思います。お取越しを雪に降られて、モンペ長靴で家々をまわりながら、昨年十二月ありがたいことでした。その御開山さまも老いきわまって、目もうすく、もの忘れの方になられました。今、御老人をおもちの方は、老後の御開山さまのように思って、お仕えなさるがよいでしょう。この衰えの聖人は、親鸞は弟子一人ももたず候の生涯であった。すなわち人に明示、断言する程の権威者ではない、と言われるのである。それは世にある謙遜ではない。本当にそうなのである。

忘れる

 真宗のお説教は、ぼんやり聞いてすぐ忘れるのが上等である。これは本当であり、とても意味が深い。仏教の道の大切なことは、忘れることだ。忘れようとして、忘れられるものではないから、忘れることが、一番むつかしい。人を金を功績を失敗を憎しみを教義を忘れられずに苦しむ。

 聖人は忘れて救われていった。

(昭和四十三年一月)