八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
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おおいなる もののちからに ひかれゆく
吾が足あとの おぼつかなしや
(九条 武子)
無憂華
二月七日は武子夫人の忌日である。世に如月忌という。昭和三年である。その昭和二年七月、無優華一巻が出版された。その巻頭の一首が、この歌である。その時、歌の師、佐々木信綱博士に三首の歌を送って、一首を選んでもらったのであった。
人は信念をもって生きることは、よきことという。果たしてそうであろうか。信念とは何か。武子夫人は、大いなる力に引かれて歩むという。自分の自身足どりは、実はおぼつかない。しゃんとしろ、しゃんとしよう、と思うけれどねェ。しゃんとしているつもりではあります。しゃんとせねば、と思うています。大きい力に、実は引かれている。なさけないことながら、しゃんと出来ない。ああ引かれてゆく。業である。業力である。従って、わが全生活は、おぼつかない足どりの旅でしかない。
願力
とても信念などというものではない。この迷酔の中に、弥陀の大願力を聞いた。弥陀を信じた。念仏は、無碍の一道と存じ、信は力なり、とも思った。だが、日頃何をしておるか。
信仰を生活に生かす。嘘をいうな。申しわけない、おぼつかない足どりである。私はただ多いなる仏力に引かれ迷妄の歩みのまま往く。私を引く如来の力は大丈夫だ。
(昭和四十三年二月)