八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
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信心の人も 煩悩がやまぬ
以前より ひどいこともある
これは 大寒のあとの 余寒のような ものじゃ
やがて 次第に 暖かくなる
(七里 恒順和上)
煩悩
博多萬行寺に住した七里和上は新潟県の生まれ。明治二十六年、六十六才で亡くなられた。十一才得度。十四才、正念寺・僧郎和上門下に一年。光西寺・宣界和上門下に五年。大分県浄光寺・月珠和上、教順寺・宣正師の下に二年。長久寺・慶忍和上門下三年。満福寺・南渓和上門下二年。三十才、萬行寺に入寺された。寺はさびれていた。
私塾を開いて門弟を育て、各種の会を起こして、法義を引き立てられた。明治八年和上が本山の重役をしておられた七月萬行寺は焼けた。和上の電文に曰く、ヒトト ホウモツブジナレバ ヤケテモヨシ シンパイニオヨバズ ワタシモスグカエル それより和上は、博多の地をはなれないように心がけつつ、九州全体にわたって信仰をすすめられた。和上はお称名たえぬ行儀堅固な方であった。信仰とは、立派な人になるのだと思っている人が多い。しかし信仰に入っても煩悩がやみはしない。
懺悔(さんげ)
今年は残暑がきびしい。きびしいと言ってもやっぱり涼しさがくわわってくる。
秋になった。案ずる前に、お育てにまかせるがよい。起る煩悩の下から改悔さんげの涼しさが出る。触光柔軟(そっこうにゅうなん)、やさしい心が恵まれる。
(昭和四十二年九月)