九十 泥華一味 「浅原 才市」
提供: Book
2007年9月14日 (金) 19:59時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: '{{houetu05}} あさましと ねんぶつは をないどしの<br /> なむあみだぶつ<br /> あさましのが まいらせてもらう<br /> あさましのを ...')
あさましと ねんぶつは をないどしの
なむあみだぶつ
あさましのが まいらせてもらう
あさましのを どけりや こころなし
あさましのが まいらせてもらう
(浅原 才市)
泥
浅原才市は昭和八年、八十三才で死んだ。才市のうたをたくさん読んでゆくと、よくもこんなになったと思う。教育はない、名声もない。実のところ、真宗はわかりにくい。それを歩み進んだのである。真宗が人生生活に役に立たねばならぬという前提があってはこうならぬ。浅ましいと念仏は同じ年令である。如来があって、私が救われるのではない。むしろ私があって如来がある。如来によって、あさましい、が知れるのではない。浅ましいを知って、如来となった。浅ましいと如来は、はなれない。 如来はどこに在るか。如来は称名に出(い)でたもう。念仏である。浅ましい念仏は、同居せる友人である。同処に在る。
華
才市の心は浅ましで一杯である。浅ましをのけて、才市はない。浅ましがなくなって目的をとげるのではない。浅ましは、業報であって、なくならぬ。今の業報は、次の業因である。どうあっても地獄はまぬがれぬ。だから救われねばならぬ。だから救わずばおかぬ、と本願が立てられた。浅ましいてよかった。浅ましくてよかった、と発言する才市が、最も浅ましさを知っている。
(昭和四十三年四月)