八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
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恒順よ
お前は 排仏論を 心配するが
日頃 親しむ 竜樹 天親の 大論があるのに
平田の学説に 恐るることはなかろう
それより 僧侶 同行の 道心なきを おそれよ
(南渓和上)
他宗
楳渓南渓(うめたになんけい)和上は大分県萬福寺に住し、明治六年九十一才で亡くなられた。七里恒順(しちりごうじゅん)和上は福岡・満行寺に住し、明治三十三年六十六才で亡くなられた。南渓和上の弟子でありました。明治のはじめの排仏論は、平田篤胤の神道学説が依り所であった。恒順和上は、この学説をやっけようとした。南渓和上は、偉い立派な御当流のお聖教を頂きながら、外の学説に用があるのか、と叱る。他宗に用はない。念仏は無碍の一道ではないのか。
新しい宗教が法華経を依り所としておこって来たので、真宗の人々が大急ぎで法華経を学びはじめた。お三部経に何の不足があるのか。大経は真実の教ではないのか。
自宗
靖国神社を国のものとするという動きがある。日頃お聖教を読まない人々が、靖国神社を論ずる。どんなことになろうとも手に数珠はめて靖国に参って、お念仏称えて、おじぎをしようではないか。お念仏をさまたげる程の悪なきゆえに。勿論、衣を着て、正信偈をあげてもいい靖国にしてほしい。一番大切なのは、自宗である。
(昭和四十二年十二月)