操作

十一 歓喜の称名 「浅原 才市」

提供: Book

2007年9月12日 (水) 01:46時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

一 遠い純情 「九條 武子」
二 みおやの涙 「九條 武子」
三 小賢しき分身 「九條 武子」
四 いたき鞭 「九條 武子」
五 みずからの道 「九條 武子」
六 ほろびの玩具 「九條 武子」
七 御遠忌 「浅原 才市」
八 うそ うそ 「浅原 才市」
九 待伏の茶屋 「浅原 才市」
十 くよ くよ 「浅原 才市」
十一 歓喜の称名 「浅原 才市」
十二 夏安居 「浅原 才市」
十三 一隅を照らす 「伝教 大師」
十四 狐客 「古 謡」
十六 今を惜しむ 「兼好 法師」
十七 寝ずの番 「浅原 才市」
十八 華やぐ命 「岡本 かの子」
十九 閉された生涯 「俚 言」
二十 はすの花 「聖覚 法印」
ウィキポータル 法悦百景

わたしゃ こまうたことがある
むねに くわんぎの あげたとき
これを かくこと できません
なむあみだぶつと ゆうてかけ
            (浅原才市)


一文不知

 私は一週間ほど京都にゆき、七月六日に帰りました。七日お朝事は、八日ぶり再開です。松尾チヨさんは、いつものように参詣、私とものをいわぬまま、御和讃もすみ、いつものように法話、才市さんの歌はいいなあ、あと三分でやめよう。 九時七分、おばあさん、あくびをして坊守に顔を向けつつ、あっとゆうてたおれ、一切無言。

 十日夕景、ほんとうに、素懐をとげました。文字を知らぬチヨ女でした。信仰の喜びは、ひょんな時に、あげて来ます。つきあげて来ます。口べた手べたです。チヨ女は書けません。お称名する外、何も言えないのです。

ただ

 そのかずわずか六字の念仏、ありがたいな、ええの、これだけです。つきあげてくる歓喜を、書けないから残念か、困るか。いいえ、何の不足があろう。なまんだぶ、なまんだぶ、ただ念仏する中に、無上甚深の心があります。

 無常講の人達のおかげで、暑い道、かよいなれた寺参りの道を、チヨ女のなきがらは、光摂坊に参りました。

しきみ一対、法友誠隠居士の弔辞一つ。法話会同行、おのおの焼香。  チヨ女は、七百年目に、開山聖人に会うか。松尾さんよかったなあ。

マツオサン オッツケオソバニ マイリマス サガケン ミヤジエイ(弔電)

(昭和三十六年八月)