二十 はすの花 「聖覚 法印」
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ほかには善心あり 尊きよしをあらはして
うちには不善のこころもあり 放逸のこころもあるなり
これを 虚仮のこころと名づけて
真実心にたがえる相とす
(聖覚 法印)
寺まいり
五月です。降誕会の月です。あなたは、ようこそお寺まいりになって下さいました。お寺に住んでさえ、お寺まいりできない人のいる世にです。開山聖人とか、親鸞聖人とか、南無阿弥陀仏とか、口にかける身になって下さった。よくぞ掌を合わせて下さいました。
栗の木のように、曲がっていると、言われましょう?。お寺まいりのくせに、と言われましょう?。火の満ちた世の中での、お寺まいりです。地獄も極楽もあるものか、だまされるな、あれは誡めだ、立派にくらしさえすればよいなどと非難します。その世に、よくぞ、お寺まいりになって下さいました。お寺まいりをくさす人は、すべて、みな軽薄な人間です。そとを飾った偽善者です。時には、慎みもなく、放逸に行って、正直ぶる人もいます。偽悪者と申します。
真実心
お寺まいりをくさす人は、真実の心を求めない人です。不真実な私どもだからこそ、お寺にまいります。お寺まいりをくさす者こそ、己の不真実をかくす人です。ようこそ、お寺まいりになって下さいました。仏の至誠心に育てられました。仏の真心をもらいました。栗の木でなく、はすの花です。
(昭和三十七年五月)