一 遠い純情 「九條 武子」
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なにをもて なぐさめやらん かの日より
胸のいとしご おとろえゆきぬ
(九条 武子)
純情よ
そのころ乙女とよばれていた。紅顔の年というものである。 人はやさしく綺麗な心を貴び、美しい生活を作って行こうとするものに思っていた。 おとな達の狡猾なありさまを見聞きしては、あれはいけないことと思っていた。そうしては、自分の正しさを誇り、末ながく清潔であろうときめた。 不純は吐く程にいやらしいこと。
それに
なのです。人を知り、人と交わって、もう年月、嘘をおぼえました。もっとひどいことには、人を疑うことを知りました。自分を疑う人を、怒りあざけったこともあるのに、人に疑いの目をむける。何とした、はしたないことであろうか。猜疑の猜という、みにくい字。もう何でも思い、何でもする。わたしはおとなになった。いたましい煩悩のもので、わたしはある。
償い
かって胸に秘め、育て愛した、いとし子の名、疑いをしらぬ”純情”。衰えていったあの子を、どのようにして慰めようか。邪慳にされて、消え衰えた時、手をふって遠くなった。今は早、償うに足る心もない。
(昭和三十五年十月)