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十七 寝ずの番 「浅原 才市」

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法悦百景 深川倫雄和上

一 遠い純情 「九條 武子」
二 みおやの涙 「九條 武子」
三 小賢しき分身 「九條 武子」
四 いたき鞭 「九條 武子」
五 みずからの道 「九條 武子」
六 ほろびの玩具 「九條 武子」
七 御遠忌 「浅原 才市」
八 うそ うそ 「浅原 才市」
九 待伏の茶屋 「浅原 才市」
十 くよ くよ 「浅原 才市」
十一 歓喜の称名 「浅原 才市」
十二 夏安居 「浅原 才市」
十三 一隅を照らす 「伝教 大師」
十四 狐客 「古 謡」
十六 今を惜しむ 「兼好 法師」
十七 寝ずの番 「浅原 才市」
十八 華やぐ命 「岡本 かの子」
十九 閉された生涯 「俚 言」
二十 はすの花 「聖覚 法印」
ウィキポータル 法悦百景

あさましや さいちこころの ひのなかで
だいひのおやは ねずのばん
もゑるきを ひきとりなさる おやのおじひで
               (浅原 才市)


一月十七日

 浅原才市は、昭和八年一月十七日に八十三才で、どこぞへいんだ。この人のうたを、いくつもよんでいると、なつかしくて仕方がない。才市は、せかいをおがむ、また才市は、せかいからおがまれていた。なむあみだぶつは、せかいであった。せかいは、つづめて、才市のためにあった。浅ましい思いは、単なる反省ではない。才市は、わが心のあさましさを、火という。まさしく火である。狂いまくる業火である。

この会報第一号に、武子夫人の

なにをもて なぐさめやらん かの日より
胸のいとしご おとろえゆきぬ

を、かきましたが、純情というわが心は、業火の前に、ひとたまりもなく、やけうせた。

仏とは

 才市が見つけ出した仏は、その心の業火の中に、立っていなさった。気がついたときだけいなさるかと思っていたが、仏は心の火を、ねずのばんをしていて下さった。私が京に行った間に、福隅信義さんも、山近さんも、亡くなった。家族は、寝ずの番をしたに違いない。寝ずの番、ああ寝ずの番、燃える私を、仏は自分の火として。

(昭和三十七年二月)