「十二 夏安居 「浅原 才市」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
上(じょう)どから ごをんきが
さいちがこころい ひをつけにきたよ
なみあみだぶつの ひをつけて いんだよ
あとわ ををごと きやさりやせんよ
いつも ぽやぽや ぽやぽやと
とても このひわ きやさりやせんよ
をやのこころが きやさりやせんよ
ごをんうれしや なむあみだぶつ
(浅原 才市)
今年は、祖師の七百回忌の年である。今年の俵山夏安吾は、それにふさわしく盛大であった。前後六日間、それは最早われわれの仕組んだものではない。講師和上も、法友大衆も、私にとっては、浄土から来たものであった。少し宛(づつ)育てられてはいるが、こうして、殊に大きな火をつけられた私は、懐炉の灰かモグサ。そして夏安吾は、往んでしまった。残って消そうにも、消されぬ火が、法悦が、ぽやぽやとぬくい。
下関の辻野さんが、夏安吾はええの、これがたのしみでの、と喜ぶ。金尾さんは、沢山の熱心の方達と、同座さしてもらい、心の奥にしみついた感激と述べる。岡村さんは、我家の親様が一入(ひとしお)なつかしく、一人涙し、ご法縁の酔いが、今も身心に一ぱいとのお便り。わが心の煩悩共は、大騒ぎである。夏安吾のあとは、煩悩共はおおごと。
こうして仏さまは、私を育てて下さるのか。うれしいこと。
(昭和三十六年九月)