「六 ほろびの玩具 「九條 武子」」の版間の差分
提供: Book
細 |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
うつくしき 裸形の身にも 心にも
いく重かさねし いつわりの衣(きぬ)
(九条 武子)
京人形
整うた座敷でか、飾った洋間でか、京人形を見たとしよう。ガラスケースも大きいのが、部屋に置いてある。京人形は、女の理想像であるのかもしれない。何ともあでやかではある。
夢みるような 京人形
乙女のような 京人形
匹田鹿子の たもとから 悲しいものが 覗かれる
細い小指の 折れたあと 黄色い乾いた 土の色
武子さまの作であります。隙間なく粧うたのに、たった一つだけ、隙がある。姿が華麗であればある程、そこが悲しい。女の美しい粧いは快い。恍惚として見る。大きい帯での後姿も、奢らしくいい。たった一つだけ淋しいのは、振りである。あそこには、繕い損ねた悲しさがある。虚飾の悲しさであろうか。重ねても重ねても、中身の出口のごとく、取り残された隙間である。
外賢
砕けば土塊にすぎない、人形の折れた指の土の色。美しい女の裸形が刹那の春を誇る。所詮、老いさらばえる紅顔である。人の世の営みは、畢竟ほろびゆく玩具。 いいやいいや、そう観念しつつ、今日もまた、いつわりの粧いをこらします。幾重も幾重もかさねては、人の世の掟と、われを許し、粧い粧うては、人の世の掟と、人を斯(だま)し、内は愚にして、外は賢である。はずかしい。
(昭和三十六年三月)