「三 小賢しき分身 「九條 武子」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
いつとなく 見え隠れして わがあとに
間者めきたる ものの添いくる
(九条 武子)
間者
名はぶしつけだが、映画で親鸞というのを、二度見ました。ひどく心に残っているのは、少し足の悪い背かがみの小男です。盗賊の手先になっていて、聖人の様子を窺います。見ていてそして見てからも、妙な気がします。我輩の後にも、こいつがいるようだと、かねてうすうす思っていたので、そいつが現(うつつ)に見えて、飛び出してきたその味のわるさです。
私をつけてくるのは、殺意ほどのものをもってはいない。小賢しいそいつは、どうも随分まえからいるらしい。
分身
この間者らしいのは、付け窺うのでなくて、添い唆す役割だ。ある時は前にまわり、またの折は横からでもくる。注意深く私を見ていて、油断するとずる笑いをして、すばやく擽りにくる。
そいつは、まぎれもなく私の分身のようです。他人様には見えない筈だが、私の目には、チラチラかかる。そいつに擽られると、一切の欲望が陰にこもって湧いてくる。仏の光をそいつはとても眩しがります。
(昭和三十五年十二月)