「十一 歓喜の称名 「浅原 才市」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
わたしゃ こまうたことがある
むねに くわんぎの あげたとき
これを かくこと できません
なむあみだぶつと ゆうてかけ
(浅原才市)
一文不知
私は一週間ほど京都にゆき、七月六日に帰りました。七日お朝事は、八日ぶり再開です。松尾チヨさんは、いつものように参詣、私とものをいわぬまま、御和讃もすみ、いつものように法話、才市さんの歌はいいなあ、あと三分でやめよう。 九時七分、おばあさん、あくびをして坊守に顔を向けつつ、あっとゆうてたおれ、一切無言。
十日夕景、ほんとうに、素懐をとげました。文字を知らぬチヨ女でした。信仰の喜びは、ひょんな時に、あげて来ます。つきあげて来ます。口べた手べたです。チヨ女は書けません。お称名する外、何も言えないのです。
ただ
そのかずわずか六字の念仏、ありがたいな、ええの、これだけです。つきあげてくる歓喜を、書けないから残念か、困るか。いいえ、何の不足があろう。なまんだぶ、なまんだぶ、ただ念仏する中に、無上甚深の心があります。
無常講の人達のおかげで、暑い道、かよいなれた寺参りの道を、チヨ女のなきがらは、光摂坊に参りました。
しきみ一対、法友誠隠居士の弔辞一つ。法話会同行、おのおの焼香。 チヨ女は、七百年目に、開山聖人に会うか。松尾さんよかったなあ。
マツオサン オッツケオソバニ マイリマス サガケン ミヤジエイ(弔電)
(昭和三十六年八月)