「百 百代の過客 「松尾 芭蕉」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
月日は 百代の 過客にして 行きかう年も また 旅人也
(芭蕉)
旅
芭蕉は俳聖と呼ばれる。俳句に志して旅に住んだ。われら一処に住する者には理解しかねる芭蕉の心である。
近頃はいろんな旅がはやる。旅行が好きという人も居る。実は旅はつらいものだ。年中旅を続けねばならなぬ職の人があるが、辛かろうと思う。
芭蕉の旅は、招待されての旅ではない。放浪である。辛い旅に身を晒してその辛さに鍛えたのであろうか。旅は仮の宿である。旅人は遊子である。あてどなきさまよいである。彷徨である。徘徊である。
旅は捨て歩きである。逢う人も、山川も捨て捨てて歩きゆくのである。振り返らないのである。情を重ねることは出来ない。一返きりである。わが心の情を知る者なき郷を孤(ひと)り、一返行くのである。
別
旅は寂しいのである。どんな美人の愛情に触れても、親切に逢っても重ねることなき飄(さすら)いである。
情を重ねたいもう一度というのは、下司なのだ。さらりと捨て別れるのである。人生は旅である。年月を捨て行く旅である。
だからその時が、大切である。
いつもその時、後生一大事である。
(昭和四十四年三月)