「八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」」の版間の差分
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まことに 仏恩の 深重なることを 念じて
人倫の哢言(ろうげん)を 恥じず
(親鸞聖人)
仏恩
小さい時私は大分県の田舎の寺から久留米の明善校に入学して、その近くの明善寺に五年をすごしました。一年のうち夏休みに一週間ほどわが家へ帰ることを許された。父が死んだのは四年生になった春であった。久留米から豊後森まで汽車賃は二円たらずであったと思う。帰郷の日がみちて久留米に出発する日、父は五円くれるのが常でした。
私の前に一円札三枚、五十銭貨二つ、十銭八つ、五銭二つ、一銭貨十個をならべ用心して無駄遣いをするなと申しました。毎度でした。私はわが家は貧乏であり、父のくれたお金は小銭をさらえて出した貴重なものだと思い兄弟に対しても私がお金をたくさんもらうことをすまないと思い大切に使いました。父はそのことにふれずに死にました。今、自分が中学生である子をもって、小銭をやります。説明をしませんが、小銭を出すには、わが子に対していろいろのことを思っています。
人倫
親は子に対して釈明しません。何と言ってもだまって子の非難に耐えています。父の態度を子に説明するのは、育児評論です。父はだまって耐え、子の成長を見守るだけです。
(昭和四十二年八月)