操作

二十 はすの花 「聖覚 法印」

提供: Book

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

一 遠い純情 「九條 武子」
二 みおやの涙 「九條 武子」
三 小賢しき分身 「九條 武子」
四 いたき鞭 「九條 武子」
五 みずからの道 「九條 武子」
六 ほろびの玩具 「九條 武子」
七 御遠忌 「浅原 才市」
八 うそ うそ 「浅原 才市」
九 待伏の茶屋 「浅原 才市」
十 くよ くよ 「浅原 才市」
十一 歓喜の称名 「浅原 才市」
十二 夏安居 「浅原 才市」
十三 一隅を照らす 「伝教 大師」
十四 狐客 「古 謡」
十六 今を惜しむ 「兼好 法師」
十七 寝ずの番 「浅原 才市」
十八 華やぐ命 「岡本 かの子」
十九 閉された生涯 「俚 言」
二十 はすの花 「聖覚 法印」
ウィキポータル 法悦百景

ほかには善心あり 尊きよしをあらはして
うちには不善のこころもあり 放逸のこころもあるなり
これを 虚仮のこころと名づけて
真実心にたがえる相とす
             (聖覚 法印)

寺まいり

 五月です。降誕会の月です。あなたは、ようこそお寺まいりになって下さいました。お寺に住んでさえ、お寺まいりできない人のいる世にです。開山聖人とか、親鸞聖人とか、南無阿弥陀仏とか、口にかける身になって下さった。よくぞ掌を合わせて下さいました。

 栗の木のように、曲がっていると、言われましょう?。お寺まいりのくせに、と言われましょう?。火の満ちた世の中での、お寺まいりです。地獄も極楽もあるものか、だまされるな、あれは誡めだ、立派にくらしさえすればよいなどと非難します。その世に、よくぞ、お寺まいりになって下さいました。お寺まいりをくさす人は、すべて、みな軽薄な人間です。そとを飾った偽善者です。時には、慎みもなく、放逸に行って、正直ぶる人もいます。偽悪者と申します。

真実心

 お寺まいりをくさす人は、真実の心を求めない人です。不真実な私どもだからこそ、お寺にまいります。お寺まいりをくさす者こそ、己の不真実をかくす人です。ようこそ、お寺まいりになって下さいました。仏の至誠心に育てられました。仏の真心をもらいました。栗の木でなく、はすの花です。

(昭和三十七年五月)