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九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」

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法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

とかく 智慧才覚とか 学問など云うがらくたが
信仰に進むものの 障碍となることは 確かである。
妙好人には それがないと云うので
入信の好条件を具えて居るわけである
               (鈴木 大拙)

 愚かな者は仕合せである。教養のない者は仕合せである。紳士淑女は不幸である。べらんめえ野郎は仕合せである。近頃迄、事務職の女性をBGすなわちビジネスガールと云った。それがこの頃、OLすなわちオフィスレディーという。事務職の淑女ということになった。漫才師の語り口に教養が邪魔をして、というのがある。

 実は笑いごとではない。がらくたの如き教養にしばられて、物の言い方から、振舞いまで、ぎこちないとは情けないではないか。信仰も信者も説教も教養のある上品さが大切と考えることになる。がらくたをもって、自分の教養かと思って紳士然・淑女然としていることの気の毒なことよ。君はべらんめえなんだよ、実は。君のは本当の教養ではないよ。君は下司なのだ。ハイ。

 本当の教養とは、もっと終始一貫せるものである。用心しなくてもよいものである。

 信仰とは、教養などを捨て去ったる、生地の凡夫が土台となるものだ。浄土宗の者は、愚者になって往生す。俺は阿呆なのだ。

(昭和四十三年九月)