自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる
提供: Book
![]() 法語法話 平成15年 |
---|
わたしがさびしいときに… |
仏を仰ぐとき自分の姿が知らされ… |
見えないところでつながりあって… |
信仰は悩みの逃避ではない… |
遠くなった耳が世音の中に… |
世間に抱く関心は… |
愚かさとは… |
人間は物を要求するが… |
己れに願いはなくと… |
浄土への道は… |
凡夫の身に帰れば帰るほど… |
比べる必要がないほど… |
自分のあり方に痛みを感ずるときに… |
宮城 顗(みやぎ しずか)
1931年、京都府生まれ
『他人さえもいとおしく』(九州大谷文化センター)
私には年老いた母がいた。2001(平成13)年の暮れに97歳で命終(みょうじゅう)した。明治、大正、昭和、平成と気の遠くなるような時を生き通した。寺の坊守としてご門徒を迎え、夫に寄り添い、子どもを育てていった、つつましやかな明治生まれの女性であった。
その母が、いつのことであったろうか、ある時、「何も役に立たなくて申しわけないね」と、愚痴めいた言葉で私にぽつんと語ったことがある。私は「そんなことはないよ。お母さんはじゅうぶんに役に立っているのだから」と応えた。しかし母は「そうかねー」とつぶやいたまま、私の何気なく言った「やさしい」言葉に微笑みつつも、そこには納得した気配は感じられなかった。母は黙ったままお茶を飲み続けていた。
その時の光景と言葉のやりとりが、何か気がかりで妙に私の心の奥に残っている。
私の「やさしい」言葉が母にとどかず、母の存在を素通りしてしまっていたのである。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に『楽邦文類(らくほうぶんるい)』の文章を引用して語られる。
浄土を修(しゅ)する者常に多けれども、その門を得て径(ただ)ちに造(いた)る者幾(いくばく)もなし。 …それ「自障(じしょう)は愛にしくなし。「自蔽(じへい)」は疑にしくなし
(真宗聖典239頁)
ひとはどこまでも出会いを求める。しかし求めれば求めるほど、その困難さに立ちつくす。これほどまでにあなたのことを考え、やさしくしてあげているのに、あなたはわかっていないと、かえって相手の鈍感さを嘆くのである。そして関係の成就(じょうじゅ)し難きにあきらめ、いつしか自らを孤立させ、自らを閉ざしてしまう(自障・自蔽)。
なぜであろうか。何ゆえにひとは愛するひとを思いつつも、かえって孤立して終わるのだろうか。何ゆえにやさしい言葉がとどかないのであろうか。
如来の智慧(ちえ)によれば、それは他者のせいではなく、自らの「愛」、自らの「疑」によるという。人間は他者の訴えに気づき得ない愛(愛)と、真実を排除してしまう鈍感さ(疑)を存在の奥底にかかえていて、しかもそのことに気づかない…。
これは、他者を愛そうとする者にとっては、愛するがゆえに気づき難い「闇」である。
母は「何にも役に立たなくて申しわけないね」とつぶやいた。その母のいだく存在の痛みに対して、私はやさしい言葉で応じたはずであった。しかし母は私の言葉に感謝こそすれ納得しなかった。今にして思えば、私の言葉が母にとどき得なかったのは、母ゆえではなく、はからずも私自身の無自覚さによるのであった。
自らを痛むこころすら持ち合わせていない自分自身。その自分自身に痛むこころが知らされて、今は亡き母を思う。そして諸仏の生きられた如来の悲願に頭が下がるのである。
誠に、豊かな出会いの世界に歩みを起こす入り口(門)は、自己自身の気づかぬ姿(愛・疑)を痛むことから始まるのであろう。
2003(平成15)年の暮れは亡き母の三回忌である。
大江 憲成(おおえ けんじょう) 大分県、觀定寺住職
東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載
◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。
出典と掲載許可表示(真宗教団連合のHP)から転載しました。 |