凡夫の身に帰れば帰るほど 凡夫の身の底は深くなる
提供: Book
![]() 法語法話 平成15年 |
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わたしがさびしいときに… |
仏を仰ぐとき自分の姿が知らされ… |
見えないところでつながりあって… |
信仰は悩みの逃避ではない… |
遠くなった耳が世音の中に… |
世間に抱く関心は… |
愚かさとは… |
人間は物を要求するが… |
己れに願いはなくと… |
浄土への道は… |
凡夫の身に帰れば帰るほど… |
比べる必要がないほど… |
自分のあり方に痛みを感ずるときに… |
宗 正元(そう しょうげん)
1927年、大分県生まれ
『大悲に生きる』(東本願寺出版部)
私たちが、宗正元先生に「歎異抄(たんにしょう)に学ぶ会」に出講していただくようになって、もう18年くらいになります。この会は宗俊子さんの勧めで、若坊守(わかぼうもり)の勉強の場として始まったのです。俊子さんは一昨年亡くなられ寂しくなりました…。
こうして机に向かっている今、俊子さんにチャンネルが合ってしまい、変えられない不思議な心境です。はまったというか、捕まえられたという感じなのです。今、浮かんでくる、このことを書くことにします。
先日、出版部の方にお電話いただいたことが、このところ忙しくて欠席することの多かった私に、俊子さんから「ひろこさん、なにしよんのん!」と、背中を叩かれたような感じがしたのです。「仏法、聞きなさいよ!」と、目をくるくるさせて何時も言われていたことを思い出します。年に一度の聞法(もんぽう)会「大地の会」への誘いも俊子さんでしたし、その会で多くの方々と遇わせていただきました。そのご縁が、東京での足の手術に繋がり、また、手術を受けるために多くの方からカンパを集めていただきました。いろんな方の思いとご好意で、無事手術を受けることができたのです。独身時代から結婚、離婚、市会議員になるまでの25年間のことが経巡(へめぐ)る中で、いつのまにか自分と向き合っていたのです。
ただの想いで話を描くつもりではないのです。ここまで書くのに何日も何日もかかり、俊子さんと会話をしていました。おおざっぱでいい加減な私が改めて見えてきたし、忙しさにかまけ何もお返しなどできていない私、そのことすべてが許されてきていたことにもぶつかってしまったし。「あー、そうやったんやー」と、誰もいないのに顔が真っ赤になりました。自分に出遇いなさい、凡夫(ぼんぷ)である自分に出遇いなさいと、願われていたことに気づく…。うまく書けないのですが、俊子さんの生き様が「願い」ではなかったかと受け取ったとき、訳もなく涙が出てきたのです。恩を忘れていたわけではないのですが、そういうことが一つ一つ思い出され、有り難く、唯、忝(かたじけ)ないなあという想いが込み上げてきたのです。今まで使ったこともない言葉「忝ない」という想いが込み上げてきたことにも驚いています。先生が言われていたことは、こういうことかなと自問自答です。勝手な思い込みなのかもしれませんが、「間違ってもいいよ、凡夫のまんまでいいよ、生きなさい」と願われているように感じます。間違う身、凡夫なんやー、そう確信できた時、心が何だかホコホコして力が湧いてきたのです。不思議な感覚です。
仕事や仲間とのトラブルが続き、いろいろと悩む毎日なのに、忙しさでとりあえずのことに目が奪われていました。そうした中で宗先生の言葉が、ちょっと止まりなさいと、ストップをかけてきたようです。時間の経過の中で俊子さんへ、そしてそこから多くの広がりがあり、また自分の内へ戻ってきたことのおもしろさ。今流で言えば、俊子さんへアクセスすれば広がる世界があることのおもしろさと安心感。これが私の立ち止まれる場所であり、帰る場所がまた一つ見つかったことに心がホコホコしうれしくなっています。直接言えなかったけど、俊子さんありがとうございました。忘れません。
奥山 裕子(おくやま ひろこ) 大分県、中津市議会議員
東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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出典と掲載許可表示(真宗教団連合のHP)から転載しました。 |