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他力は退却ではない進む力を与えてくださるのだ

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Dharma wheel

法語法話 平成13年

闇をとおして 光はいよいよ光る
大悲を報ずる生き方は…
善人と思っていることが…
「生き物」すべて 平等である
めぐりあいのふしぎに…
如来を信ぜずしては…
人間が人間らしく生きる…
仏様というのは…
悲しみの深さのなかに…
深く生きる人生 それは…
他力は退却ではない進む力を…
仏法に明日ということはない…
生きているということ…

book:ポータル 法語法話2001

BOOK:ポータル 法語法話

坂木恵定(さかきえじょう)
1904年、石川県生まれ
「坂木恵定仏教随想集『雨の中の沙門』」(法蔵館)より


 仏教に出遇った二十代後半から、いつも私は何らかの努力を続けていたように思う。

 がんや精神の病気で苦しむ人びとから相談されれば、自分の時間を割いて関わってきた。努力の成果があるたびに、私は自分の力や資質に自信を持ち始め、しだいに過信するようにまでなっていった。

 冷えきったある冬の夜、仕事で疲れ果てて帰宅し、家族が寝静まったところに、いつものように電話が入った。これまでにも、再三自殺を企てている人からである。朝から包丁で首を切ろうと試みていたが、痛くて死ねない。今は酒といっしょに薬を飲んでいるという内容だった。私は耳にすべての神経を集中させながら、いつものように話を引き伸ばした。話している最中にも、時々カラカラとグラスの中で氷がぶつかる音が聞こえてくる。医者からもらった抗うつ剤や催眠剤をため込んでいれば相当な量があるのは確かだ。この自殺は本当なのか、私を試しているだけなのか。言葉と沈黙との中に真実を見つけようと、私は必死だった。

 しかし、延々と続く生への苦痛を訴える声に、私はしだいに同調し始め、とうとう自殺することを許してしまった。疲れた体が、何時間もの電話中に冷えきってしまったからというのは、その理由になるだろうか。私が何かに負けた瞬間だったように思う。

 人は、人の言葉によって簡単に死んでしまうことがある。私は人の死を阻止できずに、かえって押し出してしまったのかもしれなかった。それまで、自分が人殺しをするとは思いもよらなかったが、きっかけさえあれば、実は簡単に人殺しになってしまうのだということを、私はこのときボーッと感じていた。どんな理由があろうとも、あらゆる行為の根底には「業」というふじょうりなおもしがどっかりと居座っているのだと思った。業の前で努力というあがきを続けて苦しんでいた自分が見えてきたように思う。目的や理想に向かって力を使い努める「努力」。それは私が受けた教育の価値観に照らせば、文句なく善いことである。

 しかし私が見たのは、川の流れに逆らっていつまでも岸にたどり着けず、何かにしがみつきながら、あがき続けて止まることを知らない自分の姿だった。努力している状態というのは、もしかしたら常に現状に満足できない姿なのかもしれない。川の流れに逆らわず、両手を手放して自分の身を流れに預ければ、いつかはどこかに岸に流れ着く。死ぬときがこなければ、何をしても死なない。そして、何をどう注意しても死ぬときがくれば死ぬのだと、このとき知ったのだと思う。

 不条理に負けた天狗の鼻は、ポキンと音を立てて折れた。自力で破られ、私の中で、学校や親や社会から教え込まれてきた価値観が根底から変わった瞬間だった。それは、自分の力や努力が何の効力も発揮できなかったという敗北の事実であるのに、不思議と無上の幸福感が心を満たしていた。

 この敗北は、私に「業という不条理」「殺・不殺」という大きな課題を与え、私は一生かかってこのことを考えてゆくことにした。新たな力、他力という流れに身をまかせながら。

三つ橋 尚伸(みつはし しょうしん) 神奈川・鸞笙堂堂主

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 出典と掲載許可表示(真宗教団連合のHP)から転載しました。