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お葬式 (若林眞人師)

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真宗の法話

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浄土真宗ご法話集

光照寺住職 若林 眞人

お葬式

「無宗教は絶対孤独」 お葬式を無宗教という形でされる、そんなニュースを耳にすることがあります。実は無宗教と言いながら、お葬式をすること事態、すでに宗教性があるはずなんですが。

平成8年の夏でしたか、女優の沢村貞子さんがお亡くなりになり、その時の新聞記事に「遺言によりお葬式はせず、無宗教でお別れの会を催された」というようなことが書いてありました。この記事を書いた記者の方は、沢村さんにとって無宗教がふさわしいと判断されたんでしょうね。

記事を読みながら、もし沢村さんが無宗教で人生を終わってゆかれたとすれば、それはどれほど孤独な最後だったろうか、ふとそんな思いをいたしました。

無宗教というのは、自分自身を頼みにすることです。私には他の拠り所はいりません、自分は自分なりに人生を切り開いてきたし、これからも自分の人生は自分自身で解決をします、ということ。それも自身の経験から身勝手な価値判断と宗教観を立てて、それを頼みにする、いわば自分宗です。

ところが、私たちの生まれ出たこの世界は娑婆なのです。娑婆とは、ままならない世界なのです。自分自身がこの身一つをどうすることもできないという、そういう問題に必ずぶち当たって行かねばなりません。それが不安であり苦悩なんです。

一番顕著な例をいえば、死んでゆかねばならないということです。衰えてゆく我が身を、この自分自身がどうすることもできない、またそのどうすることもできない私自身を見つめなきゃならない自分がいる。この孤独。

沢村貞子さんはこの絶対孤独の人生を無宗教の中に終わってゆかれたのでしょうか。だとすれば、たとえ見守ってくれる人があったとしても、命の絶対孤独を共にできる人はいないのです。独生独死です。

今、あなたはお念仏に遇えてよかったですね。阿弥陀様が「ナモアミダブツ」と言葉のお姿となって、この身に入り満ちてくださいました。「独りじゃないよ、あなたといつでも一緒だよ」。絶対孤独の今この私を目当てとし、この命を共にしてくださる仏さま、それがナモアミダブツの仏さまなのです。

お葬式まで遺言ですか

遺言状を残して自分のお葬式まで決めておこうという方がおられますね。それがあれば残ったものがしやすいという面があるかもしれませんが。

ある時、テレビ番組で変わった会社を紹介していました。それは東京の方で、遺言をその通りに代行する会社なのです。内容については、自分自身のお葬式についての依頼が目につきました。

自分の死後、近親が自分の思い通りに実行してくれないという事情があるのでしょうか、それを会社に契約しておくのです。知らせを受けた会社は社員を派遣して代行する。と言ってもせいぜいお骨の始末までの契約だったと思います。自分の未来はその程度までということなのでしょう。

申込書がテレビに映ると、「葬式するな」「僧侶をよぶな」などの言葉が次々に目に付きました。これは関西では考えられないことですが、関東ではそれが現実のものとなりつつあるんでしょうか。お寺とのつながりがよほど薄いんでしょうね。

それはともかく、遺言によって「誰それにだけ知らせよ」「骨はこうしろ」とか死後のことまで指図するとは、ちと厚かましいんじゃないですか。

あるご家庭でのこと。お参りにこられた親戚のばあちゃんがおっしゃいました。

「私が死んだらな、骨はな、六甲山に撒いてくれたらええ」こう言うと娘がね、

「そんなことをしたら、山の木が枯れる」と言うんです。

「それやったら瀬戸内海に撒いておくれ」って言うと

「そんなことしたら海の魚が毒気に当てられて死んでしまう」そんなことを言うんですよ。

と笑ってなさいました。娘さんはきっと、命終わってからのことまで母さんが心配して決めなくていいのよ。私らがちゃんとするからとおっしゃっているんでしょうね。

もし言い残すなら「おまえたちのしやすいようにお葬式をしてくれたらいいよ」と、このほうがご家族に対してはるかに優しいと思うのですが。

絶対孤独の人生を支えるもの

あるご家庭の仲のいいご夫婦のお話です。ご主人は食べ物がおさまりにくくなって、気にしつつも日が過ぎて行きました。ついにどうにもならなくなって、病院に行かれると膵臓ガンが腸にまでおよんでいたそうです。根本的な治療はかなわず、一時的なバイパス手術によって退院されました。

お参りに行きますと、かなり痩せてはおられますがお元気そうです。「ずいぶんお金がかかっちゃって、力をつけてもうひと稼ぎしないとね」とおっしゃる。奥さんは「そうよ、元がかかってんのよ。取り返さなくっちゃ」と励まされるのです。

ご本人は病に立ち向かうお心に溢れてなさいましたが、一時しのぎの手術です、二ヶ月ほどで再入院となりました。お体は衰えてゆく一方です。その苛立ちをぶつける相手は奥さんしかありません。それでも毎日奥さんは病院に通われます。

ある日のこと、もうご自身では外に出られるお体ではないんですが、ふとおっしゃった。

「かあちゃん、二人で旅行をしようや」

「あら、あなたどこに行きたいのよ」

「海の見えるとこに行こうや」

「そんなとこ行って何がしたいのよ」

「かあちゃん、俺と一緒に死のうや」と、おっしゃったそうです。

ご主人は衰えてゆく体を、もう自分ではどうにもできん。その孤独の中で、かあちゃん一緒に死んでくれやと甘えなさったんですね。

その時奥さんは何とおっしゃったか。「そうできたらいいね」と、優しくはおっしゃらなかった。思わず、

「いやよ、あなた先に行きなさいよ。私まだしなきゃならないことがたくさんあるんだから」。

父ちゃんはその言葉を聞いて我に帰った。そうやった、どれほど励ましてそばにいてくれたとしても、この身ひとつの命やなあ。

それから一ヶ月半ほど後に、奥さんの母親のご法事を勤めるという約束でした。当日病院から一時帰宅の許可が出ました。やつれ果てたお姿に、ご親戚の方々は涙溢れての再会です。お母さんのご縁でありながら、まさにご当人とのお別れのご法事となりました。

「阿弥陀さまを知らせてもらってよかったですね。この人生が迷いの境界の打ち止めです。息の切れたその時がお浄土。もう死んでいくことに力はいらないのです。ここにいる我々もやがてまもなくお浄土に参ります。また会える世界がありましたね。」

その後は場所を移してのお斎の席でした。父ちゃんは力を振り絞って声とならない声で、皆にお礼言上をなさいました。その役目を果し遂げると、息子さんに送られて病院へと戻って行かれます。その車中「寺へ参って説教聞かにゃ」と語り残して下さいました。そうして十日あまり後、命終わってゆかれたのです。

どれ程に支え合うご夫婦であろうと、命を共にはできないのです。その絶対孤独の私に入り満ちて下さる、それはたゞ一つ、南無阿弥陀仏。「独りじゃないよ、如来は今ここにいるのだよと」。

命終わってゆく世界

長生きがいいことだという考え方には、早く命終わることがつまらないことだという見方があるはずです。人はそれぞれの縁の中に終わってゆかねばなりません。命の長さに価値があるわけではないでしょう。

仕事柄、亡くなったお方のおそばに行くことが多いです。そうすると自然と駆けつけてこられた人のお悔やみの言葉が耳に入ってきます。

たとえば、ずいぶんお年を召して亡くなったりすると、訪ねて来られた人もちとにこやかな顔をされたりして、

「あら、奥さん、お義父さん悪かったんやね」

「そう、もうちょっと長生きしてくれはるかと思ってたんやけど」

「そうやね、でも寿命やないの。これだけお世話なさったんやもん、本人も<満足したはるよ。あっ、そう、それはそうと奥さん、今度の旅行は行けるでしょ」

こんな話になって、それがもう少しお若いとそうはいかないですね。

「お義父さん急やったんやね。お元気やったのに」

「そう、孫のこと楽しみにしてたんよ」

「ほんとに惜しいわ、まだ若いやないの」

そんな声が聞こえてくるんです。もっと若くて働き盛りの年齢ですと涙を誘いますね。

「奥さん、なんでこんなことになったのよ。ご主人とこないだバス停でお会いしたんよ。なんで、どうして」

驚きが伝わってきます。それがもっとお若くなると、もう言葉もありません。高校一年生になったばかりの、立派な体格の男の子が突然、クラブ活動のあと倒れて亡くなってゆかれたことがありました。その時、お母さんの友人はハンカチで目頭を押さえたまま手と手を握りあうしかなかったですね。

そうしたお姿に会いますと、どうも命終わってゆくのは若い時の方が値打ちがあるようにも思えるのですが。

ある時、三歳ほどで亡くなったお子さんの五〇回忌というご法事がありました。兄弟衆はもう五〇歳以上ですし、お母さんも八〇歳あまりになっておられる。ご法事が終わりますと、そのばあちゃん、お母さんですが、お仏壇を指さして、

「死んだあの子はね、小さい時から物わかりのいい賢い子でした」

と、しみじみおっしゃいました。そうすると残ったお子さんたちは‥‥‥。

まあその点、我々はちと長生きしすぎましたね。今さら急いでもしょうがない。この娑婆にしがみついてでもとどまってみようじゃありませんか。

たとえ命終わってゆくことがつまらんと考えたって、どれほど長生きをしたって、必ず最後はやってきます。終わっていいんです。力無く終わってゆける世界を知らせていただきましたよ。それがお浄土です。力無く終わる時、まさにこの私が間違いのない世界に参らしていただく。

今それに決定した日々を生きております。安心ですね。ならばこの上は、この日々をひとつ大切にしようじゃありませんか。阿弥陀さまに願われた日々。急ぐことはありません。力無く終わったら、その時がお浄土なんですから。

死亡原因は「生まれてきたから」

お亡くなりになると、大急ぎでお寺さんを呼ばねばならん、できるだけあったかいうちに、近頃そういう考えをされるお方はずいぶん少なくなったように思います。

よく、「お寺さんは大変でしょう、いつ電話がかかってくるかわかりませんもの」などとおっしゃるけれど、真夜中に知らせがあることなど久しく無いですね。みなさんご配慮くださるんでしょうか。

私らより大変なのはお医者さんでしょうね。ご門徒のばあちゃんがお亡くなりになった時のこと。ずっと往診に通っておられたお医者さんが通夜の席までお参りでした。控え室で着替えながらお話をさせていただきました。

「急な葬式があると、お寺さんは大変ですなあ」

「いやぁ、先生の方こそ大変でしょうが、真っ先に連絡をされるのは先生でしょう。 死亡診断書を書いてもらわないかんですからね」

「まぁねえ、それは仕事ですから」

「診断書というのは、困られることもあるんでしょうね」

「そりゃありますよ。ふだん診察しておる病状と違うこともありますから<ね」

しばしそういう話題になりました。

「先生、そういう時にはお寺で書いときましょうか」

ふと冗談みたいに申したことがありました。 お寺で死亡診断書を書くようになったら簡単ですね。 「このお方はなぜ亡くなったのですか?」 「はいわかりました!」どう書くかといいますと、ひと言「生まれてきたから」と書けばいいのです。それ以外に原因はないのです。

よく死亡原因などといいますが、あれはみな縁ですね。ある年齢になると、新聞を一番後ろのページから開くようになると聞いたことがあります。後ろから開いて何を見るかというと、下段あたりに亡くなったお方の記事があるじゃないですか。

何気なく眺めつつ、自分よりうんと年を召した方ですと「ああ長生きをなさったなぁ」とさらりと読み過ごし、自分より若い人だと「まあ若いのに」。そうして自分と年齢が近い人だともう一度読み返しますね。何を見るかというと、どこが悪かったか、どういう病気だったか。つまり死亡原因です。

そういう気持ちはご互いありますね。だけどそれは「死亡原因」ではなく「死の縁」と言うべきでしょう。たとえ心臓の病でも一人一人皆違うのです。病気がその人を死なせたんじゃない、それが縁となっただけなんです。「因」はたった一つ「生まれてきたから」、「縁」は一人一人の上に無量の形であるわけです。

われわれの生まれ出たところは生死の世界。『お正信偈』の最後のほうに「還来生死輪転家」とある、生まれた限り死んでゆかねばならない世界です。その生死の世界に生きるしかないこの私を目当てとしてくださったのが阿弥陀さまです。

生き死にのまっただ中にあるこの私を生き場として「あなたを捨てない如来は今ここにいるんだよ」と宿ってくださいました。それが南無阿弥陀仏。今この身が南無阿弥陀仏の値うち入り満ちたる人生なのです。

旅装束は無用です

命終わって、どこかに旅をするように思っておられる人がおられますね。いわゆる旅装束ですか。

実は、お浄土という世界を知らせてもらったわれわれにとっては、命終わってから旅をするのじゃないのです。

旅はただ今、今が道中。命終その時が旅の終わりなのです。

お寺のすぐ近くのじいちゃんが亡くなった時のこと。家の建て方がドアで仕切った形でしたのでお葬式がしにくい。そこでお寺でお葬式をされることになりました。納棺もお寺でということになったのです。

実を申しますと、納棺勤行という作法があるのですが、そのご縁にあうことはめったにありません。

お約束の時間、私は本堂の荘厳を整えてお待ちしました。じいちゃんのご遺体が到着しまして、 「さっ、それじゃ納棺のお勤めをいたしますから、ご家族のみなさん、どうぞご一緒にお参りください」と納棺勤行を始めました。

「往覲偈」というお勤めで少し長いんです。「東方諸仏国 其数如恒沙 ‥‥」。 するとそこにおられた葬儀社の方が「えーただ今から旅装束をいたしますので、ご親族のお方はこちらに来てください」とおっしゃる。

しまったなあと思いましたね。はじめに申しておくべきだったと思いましたが、もうお勤めは始まってしまった。どんなことをなさるのだろうかと、ちょっと目を横にすると。

手っ甲とか脚絆ですね、じいちゃんもう硬くなってなさるもんで、結びにくそうにされている。首にはポシェットを下げて、いや頭陀袋ですか、それに草鞋とか、まさに旅装束をなさるのです。

で、お勤めが終わって振り向きますと、もう手際よく納棺がすんでおりました。だけど申しておかねばと思いましたね。

「命終わって旅をなさるんじゃありませんよ。もう旅は終わられたんです。この娑婆の縁が尽きたとき、それが旅の終わりです。旅が終わったということは、お浄土の仏さまとなられたのです。お姿はありますよ、亡骸はありますけれど、迷いの世界に旅立って行かれるんじゃありません。もうお浄土の仏さまなのです。」

納棺をされる時には、お寺参りをなさるようなお姿がいいですね。式章があれば首にかけて、お念珠を手にされて、それが自然ですよ。魔除けみたいなものは一切無用です。もうお浄土の仏さまなのですから。

迷いの世界はこの人生が最後です。よかったですね。堂々と娑婆の縁、力なく終わってゆこうじゃありませんか。

死んでから旅はしないのです

お葬式がご縁となって、はじめてお参りをさせていただく、そういうご家庭があります。ある時、九〇歳近いご主人がお亡くなりになったということで、浄土真宗のお寺を尋ねられたのです。そうして私のところにお葬式の依頼がありました。

私はお葬式には出られず、初七日にはじめてお参りさせていただきました。ご家族の関係については、父から聞いてはおりましたが、お会いするまでは、想像もできません。

さて、初七日のお勤めの後、ご家族との間で中陰の間の心構えなどが話題となりました。俗にロウソクが消えたら、線香が消えたら道に迷うなどと言う人があります。ふとそのことで、「命終わって旅をなさるんじゃありませんよ。旅は終わられたんです。今はもうお浄土の仏さまです。」

すると、壁に背中をもたれるようにして静かに耳を傾けておられたおばあさんが、色の着いた眼鏡をかけ、その目を閉じたままおっしゃいました。

「ああ、そうですか。命終わって旅はしなくてよかったんですね。私は三十なかばの頃から目が見えんようになって五十年になります。このたび夫を亡くしまして、みなさんのお力で無事にお葬式を勤めさせてもらいましたが、私も間もなく命終わっていかにゃなりません。もし、独りで旅をせにゃならんのやったらどうしようかと案じておりました。ああ、旅はしなくてよかったんですねぇ。なんまんだぶ、なんまんだぶ‥‥‥」

そうでしたか、三十代なかばで目が見えなくなった奥さんを、ご主人は目となり手となり足となって支えて来なさった。妻としてその夫を見送ったという安堵感の中に、今度は自身の死を見つめなさいます。支えてくれた夫はもういない。独り旅をするなら目の見えぬ私はどうしようか。

「おばあさん、今がね、阿弥陀さまの摂取不捨の道中ですよ。摂取心光常照護。もうあなたを捨てないよ。摂め取って捨てないというおはたらきのまっただ中に今日一日があるのです。よかったですね。今が道中、息の切れたその時は、もう旅の終わり、お浄土の仏さまなんですね。」

煩悩に まなこさえられて
摂取の光明 みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身を てらすなり

         【親鸞聖人『高僧和讃』】

命終わって迷いの世界に旅だつとは、なんと悲しいこと。そんなことは一切心配いらぬこと。まさに今が道中じゃありませんか。


この原稿は、平成9年(1987)4・5月『北御堂テレホン法話』の内容の一部を筆者が加筆訂正したものです。

北御堂テレホン法話より 《 一九九七.四月・五月放送の中から前半 》

平成十年九月 北御堂(津村別院)から『聞法』として出版