如来の智慧の海は、広く底がない
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![]() 法語法話 平成19年 |
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仏心というは、大慈悲これなり |
仏の光にあうと、煩悩の… |
仏たちはみな殊にすぐれた… |
仏の光明は全世界を照らし… |
阿弥陀仏、此を去ること遠からず |
如来の智慧の海は、広く底がない |
仏の光明は遍く世界を照ら… |
仏は濁れる世に… |
信は悟りのもとであり… |
如来は限りない大悲をもって… |
仏は教えを説いて人々を救い… |
もし法を聞けば、つとめて求めよ |
人はともに敬い親しみ… |
出典: 仏説無量寿経
中央アジアにアラル海という塩水の湖があります。その面積は琵琶湖のほぼ百倍といいますから、とてつもなく大きな湖で、かつては豊かな漁業資源で沿岸の人びとを養っていました。このアラル海がもとの面積の三分の一にまで縮小し、今もどんどん小さくなり続けています。
世界が東側と西側に分かれて対立していた一九六〇年代に、両陣営が科学技術競争にあけくれていたとき、砂漠を緑化して農場にすることにおいて東側が西側に対して勝利宣言をしました。それはこのアラル海に流れ込むアム・ダリアとシル・ダリアという二つの大河の水を利用して広大な棉栽培の農場をつくることができたからです。ところがその結果、アラル海は縮小し始めたのです。農場をうるおしてアラル海に環流するはずであった大河の水は砂漠に吸収されてしまって戻らず、湖はどんどん縮小し、塩分だけが濃くなって魚は住めなくなりました。それでも砂漠が農場になったのだからいいじゃないかというと、実は砂漠に水が施された結果、地中の塩分が地表にしみ出してきて、作物は育たなくなってしまったというのです。要するに元も子もなくしたというわけです。
現代の世界は科学技術の高度な発展のお陰で、便利さと豊かさにおいて過去のいかなる時代をもはるかに凌駕するようになりました。将来もどれほど便利な世の中になるのか予想もつかないほどです。かといって手放しで喜ぶこともできません。私たちが享受している便利さと豊かさは過去の人間が想像もできなかったものであると同時に、その副産物として生じる問題もまた過去の人間の想像もつかなかったものであるに違いありません。そらおそろしいほどの地球環境の破壊や、一度に何千万人をも殺すといわれる核兵器、ついに生命操作にまで手を伸ばしてきた医療技術など、人間の知恵の産物としての科学技術はアラル海の消滅と同じ結果をもたらしているような気がします。
人間の知恵の光は便利さと豊かさを与えてはくれましたが、それは同時に底の知れない影をもつくってしまいます。ところが、寂光といわれる如来さまの智慧の光は人間の知恵とはちがって影をつくることがないといわれます。それは私たちに目先だけの便利さや豊かさをもたらす知恵とはちがって、私たちの「いのち」そのものにはたらく智慧なのです。
せっかく「わたし」としてこの世に生を享けたのだから、それを全うせずに終わってしまうなら、得がたい人身を得た意味は消えてしまいます。また、私の「いのち」の意味は目先だけの私の浅知恵で発見できるものではありません。如来さまの智慧の光に照らされて、はじめてそれを見出すことができるのだと申せましょう。
徳永道雄(とくなが・みちお) 1941年生まれ。 京都女子大学文学部教授、本願寺派宗学院講師、 浄土真宗教学伝道研究センター顧問、 本願寺派勧学、大阪府正福寺住職。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。