信は悟りのもとであり、功徳を生む母である
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![]() 法語法話 平成19年 |
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仏心というは、大慈悲これなり |
仏の光にあうと、煩悩の… |
仏たちはみな殊にすぐれた… |
仏の光明は全世界を照らし… |
阿弥陀仏、此を去ること遠からず |
如来の智慧の海は、広く底がない |
仏の光明は遍く世界を照ら… |
仏は濁れる世に… |
信は悟りのもとであり… |
如来は限りない大悲をもって… |
仏は教えを説いて人々を救い… |
もし法を聞けば、つとめて求めよ |
人はともに敬い親しみ… |
(『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』・『真宗聖典』547頁)
と親鸞聖人(しんらんしょうにん)は述べています。一点のすき間もない虚仮をはなれた確信が、こころの底からの了解というような「如来」の「悟り」の「智慧」に通じているのでしょう。
事実は否定できないという澄んだこころは、それが自分にとってもっとも認めたくないことであっても、素直に納得できるのです。そして「功徳(くどく)を生む母」に譬(たと)えられて、不思議な豊かさを与えてくれるのです。
明るく安堵(あんど)したような様子で、夜中に、「自宅に帰ります」と言った時の彼女の顔を忘れることはできません。そしてその後で「状況は何一つ変わっていません」と言うご両人の本音の入った口争いの連続と、「まったく変わってしまった」ところが「一つ」だけあるという二人からの報告を、こころから嬉しく聞いたことでした。
鍵主 良敬(かぎぬし・りょうけい) 1933年生まれ。京都市在住。 北海道教区聖光寺住職。大谷大学名誉教授。
東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。